モトノヤマメ倶楽部
 
● 巡礼の旅 ●
 
 
四国霊場八十八巡礼の旅・・??
お盆休みを利用して、四国霊場を巡礼してきました。

午後2時出発。
お盆は終っているはずが、国道50号はかなりの混雑。笠間へ近ずくと動かない、待てない。
裏道に入り笠間・常北線に入る。流石に空いてる、やはりローカル線なのか・・・・・?。富士笠間の入口の先を左折しようとすると・・・・・??。暫くぶりに走った為か、道、交差点が変わっている、高速道路並み・・・!。信号を左折、素晴らしい。
少し走ると、ほっとした・・・・・・・・が、又、広くなったり、狭く・・・・、なんか走りずらい。狭かったが、昔の道の方が味があった様な・・・・・・。
ナビが右だの左だの五月蠅い・・・!。隣りのナビも五月蠅い。中々着かないので、ナビの言うとうりに走った方が速いんじゃない〜・・・・隣りのナビがのたまう。
分かっていないようす。昔の道とと現在の道を楽しんでるのが・・・?。又、ナビの指示、道の幅は変わっているが、昔自転車で走った道なのでナビの指示は受けない・・・!。
すべての?交差点が広くなっている、見慣れない広い道路もある。入ると走りずらい、何か変・・・?、曲りずらい・・?、狭いとか言う話と違う・・・・?。これが、うわさの広域農道・・・?耕運機規格の道路・・・・!。
助手席のナビが五月蠅いので、霊場へ向かう。

やっと、徳蔵
(とくら)の郵便局までたどり着く(写真の前方の交差する道を、右から左ヘ)
いゃ〜遠かった・・・??!。
スタンドがあり
郵便局の所を左折
(影に郵便局が・・・)
中央の屋根が赤くさびた家の横が
徳蔵寺
(とくぞうじ)への入口です
駐車場に入り右手
本堂
徳蔵寺縁起
大きく納豆
第一番 霊山寺(徳島県鳴門)

815年、空海は人間の持つ八十八の煩悩をなくそうと四国霊場を開く願いをたてる為に訪れたとされる。本尊は釈迦如来で、天竺(インド)の霊山を日本に移すという意味から竺和山一乗院霊山寺」と名づけられた。巡礼者が巡拝を始める前に満願成就を祈る”発願の寺一番さんなどいわれ親しまれている。

第二番 極楽寺(徳島県鳴門)

弘法大師が815年(弘仁6年)、21日間の修行を行った後札所に指定されたとされる。難産の女性が祈願して子供を授かったという言い伝えが残る。本尊は阿弥陀如来。薬師堂の前には、弘法大師のお手植えとされる樹齢1200年の長命杉(高さ30メートルがそびえる)。

第三番 金泉寺(徳島県板野)

当時は「金光明寺」と呼ばれていたが、弘法大師が寺を訪れた時、水の湧き出る場所を言い当てたことから「金泉寺」と名を変えた。本尊は釈迦如来。本堂の前には寿永4年(1185年)、源の義経が平家討伐の戦勝祈願に訪れた際、弁慶が力試しに持ち上げたと言われている「弁慶の力石」がある。また、水面に自分の顔が映れば長生きできると言われている「黄金の井戸」もある。

御参りする、近所のお婆さん
第八十七番 長尾寺(香川県長尾)

聖徳太子の開創と伝えられる寺。
境内には根回りが6メートルもある大楠(くす)と、枝ぶりの良い松が並ぶ。弘法大師が唐へ渡る前にとどまり、護摩府を丘の上から人々に投げ与えたとされ、それが1月7日の大会陽福奪いの行事となった。大鏡もちを運ぶ力くらべも行われ、大勢の見物客でにぎわう。


第八十八番 大窪寺(香川県さぬき)

88箇所最後の札所。
行基が養老年間(717−724)に草堂を建築、後に弘法大師が錫杖(しゃくじょう)をまつった。
山のくぼみに建てたのが寺号の由来。女人の入山を許したので「女人高野」とも呼ばれる。
大師堂には88箇所すべての本尊がまつられている。結願したお遍路さんは菅笠、金剛杖を奉納、護摩供養で炎に投ぜられる。
弘法大師霊場
御砂踏場
足のかたちをした踏石の下に四国八十八ヶ所霊場のお砂が埋めてあり踏むことによって 全部の霊場を参
拝したことになります
踏石
踏んだ所・・・・。

参拝回数合計 八十九箇所
参拝を終る近所のお婆さん
スタンド 中央の屋根が赤くさびた家の横が入口です
遍路マップ

予算・・?と時間、体力の自身のない方、お勧めです。


事故、ご予算オーバーによる苦情はお受けできません。
自己責任で、お出掛け下さい。



徳蔵(とくら)の徳蔵寺(とくぞうじ)。同じ文字で、地名とお寺の読み方が違う・・・・・・・・?。
 

ドライブ」のメニューへもどる
 
 
 
_ メールを送信
- Copyright 2002 Barber Motono All rights reserved -